時々瞬時のうつろいを描き重ねた「寓話」には、心だけでなく潜在的思考も含まれています。このため、画面が無機的になることもしばしばです。
時々瞬時のうつろいから生まれた「寓話」は、連続性を閉じ込めたものであると同時に「記録」や「日記」のようなものとして残り続けます。記録された「うつろい」は、記録された瞬間に過去のものとなり、手の届かない遠くへ行ってしまうのでしょうか。
「寓話」には、他の作品で用いられた「かたち」「いろ」も登場します。「うつろい」遠くには行ってしまっても「つながり」を感じることができるはずです。「寓話」は多様性を持ちながらも、じつは「ひとつ」なのではないかと思います。